翌9月29日は、学校の講堂を使っての講演会だ。講師には、テレビでもそこそこ露出のある中堅落語家が呼ばれていた。もっとも、その講義内容に初めから興味のある学生は少ない様子で、講師として呼ばれた落語家には気の毒なことではあった。
 真由子の熱があらかた下がったことを確認してから、圭介はマンションの部屋を出た。この圭介も、講演会の内容には全くと言っていいほど興味を示していない。去年なども平気で爆睡こいていたクチだ。それでも、雑談に興じるよりはいいだろうと割り切ってしまっている。
「圭介〜!」
 深江の駅の側で、飛んできた声に圭介は振り向く。振り返る必要もないくらい美幸の声だ。
「よお、美幸」
「おはよ〜」
 駆けてきた美幸は、軽く息を弾ませて圭介の横に並ぶ。そのまま、駅へ入りホームへ上がった。
「昨日の見たで〜。すごいやんか、圭介」
「そら、せっかくやからな。真面目にやったし」
 そうのぞきこんでくる美幸に、圭介は得意げにそう言葉を返す。
「葛城ちゃんも武藤くんもすごかった。圭介んとこが一番やと思たから、圭介んとこに一票入れといたで」
「そらおおきに」
 興奮気味に話す美幸に、圭介はわざと素っ気なくそう言う。そこへ電車が入ってきた。
「でも、圭介があんなに歌うまいなんて意外やったわ」
 電車が動き出すと、美幸はそう笑顔を向けてくる。その笑顔は、やはり眩しい。
「俺にも何らかの取り柄はあったっちゅうことや」
 苦笑いの圭介に、美幸はまた笑顔を向ける。
「正直かっこええと思た。後夜祭でも歌ってくれんの期待してんな」
「まかしとけ」
 圭介は立てた親指を自分に向けながら、美幸の不意打ちに笑顔を返す。この美幸の心易さは、以前にも増してストレートに染み込んでくる。
「あ、それと、今日の買い出し、講義終わったら行くから」
 全く違う話題を出してくる美幸に、圭介は思わず苦笑いを浮かべる。
「昼飯はどうすんねん?」
「みんなで食べようかなあ思てるけど。…友里ちゃんと諸星くん、この辺で分離しよか?」
 そう言って、美幸はいたずらっぽく笑う。それに、圭介も呼応した。
「ええな。アベックはアベックでいちゃついとったらええねん」
 圭介もそう言ってニッと笑う。
「うん、ほんじゃ決定。委員長と天城くんにもそない言うとこ」
 美幸がそう笑った時、電車は菟原駅に滑り込む。
「あ、委員長や。ほんじゃ、あとでね、圭介」
 級友の姿を見つけ、美幸は電車を降りるなり駆けていく。圭介はその様子を苦笑しながら眺めると、足を改札へ向けた。

「おーす」
 圭介が教室に入ると、もういつもの面子は揃っていた。陽や晶が笑顔を向けてくる。
「昨日の選考結果、発表されとおみたいやから、見に行くか」
 荷物を机に置いた圭介を見計らって、潤一郎がそう声をかけてくる。
「中倉と朝田は?」
「あいつらは先に見に行っとおやろ。講義が終わるまで会う予定ないし、当落はそん時に分け合えばええ」
 圭介の言葉に、潤一郎はそう言ってニッと笑う。
「ほな、見に行こか?」
 潤一郎の言葉に、圭介たちは頷くとぞろぞろと中庭の掲示板前に歩いていく。
 中庭の掲示板前には昨日の結果が気になるのか、少し人山ができていた。圭介たちはその後ろに立つと、掲示板を見上げる。背の高い潤一郎はともかく、背が低い陽などは、背伸びをしても全く見えないようだ。
「武藤、見えるか?」
「え〜と…」
 潤一郎はじっと目をこらす。そして口をへの字に曲げた。どうやら、一番上に書かれているのは自分たちではないようだ。
「当選、ディアフレンズ、一七四票」
「あーっ!」
 潤一郎がそう読み上げると、圭介は思わずそう声を上げる。陽もびっくりしてその後に項垂れた。
「次点、スクラッチ、一七二票」
「二票差!?」
 その言葉に、晶が声を上げた。
「二票差か…」
 圭介はそう呟いて、腕を組む。
「二票差…」
 陽もぽつりとそう呟くしかない。これで、後夜祭に圭介と同じステージに上がるという望みは消えたのだ。普段以上に頑張っただけに、悔しい。
「しゃあねえな。全力出して負けたんやし」
 圭介は膝を一度叩くと、意外とさばさばした顔でそう言った。その言葉には、潤一郎も同意見のようだ。
「ま、しゃあねえわ。相手が悪かったな」
 潤一郎もそう言うと、小さくため息をついて、大きく笑う。その反面、陽は露骨に落胆して見えた。
「残念やったな、陽」
「うん…」
 晶がそう声をかけても、陽はそう小さく呟くだけだ。
「ま、しゃあないわ。後夜祭はフォークダンスで楽しむか」
「言うとれ」
 そう言う潤一郎に、圭介は笑い返す。
「葛城も、残念やったけど、決まった以上は楽しもうぜ。な」
「あ、うん…」
 圭介に笑顔を向けられて、陽はようやく顔を上げた。その頬に差す笑みが、晶の胸に突き立っていく。

 講演会の最中、圭介は去年と同じように爆睡で時間を過ごした。聞いてはいないが邪魔もしてないという一種の開き直りで、退屈な時間をやり過ごす。

 講演会が終わると、生徒はぞろぞろと講堂から吐き出されて教室へ戻っていく。そんな中、圭介は大あくびをしながら中館の教室へ戻っていた。既に明日からの文化部出展とクラスごとの模擬店の準備で、校舎には活気が満ち始めている。圭介たち2−Iも、たこ焼き屋の準備を始めるために、分担ごとの人間が動いていた。
「高遠は買い出し部隊やったな?」
 晶にそう聞かれて、圭介は苦笑いで頷く。
「方向音痴の隊長やからな。ナビがおらんと、いつまで経っても帰ってきよらへん」
「あたしらは明日の売り子やからなあ。ま、買い出ししっかり頼むわ」
「ま、俺も売り子部隊兼用やからなあ」
 そう言いながらも、圭介は朝から元気のない陽の姿に目がいく。
「葛城、元気出せよ〜」
 そう言いながら、圭介は陽の背中を軽く叩く。陽はびっくりして顔を上げた。
「精一杯やったからな」
「うん…。でも、なんか悔しくって…」
 陽はそう言うと、またつ…と俯いてしまう。
 その言葉には晶も少し驚いていた。大人しい陽の、胸の奥に潜む激しさを垣間見た気もする。
「ま、悔しいのは俺も一緒や。差のない次点っちゅうのは、スッキリせんわ」
 そう言いながら圭介は苦笑いする。陽は時折こうして普段見せない姿を見せてくれるのだ。
(大人しいだけとちゃうかったんやな)
 この一月で、陽への印象は少し変わった。人見知りと引っ込み思案さえ解消できれば、みんな放っては置かないだろうなと。ただ、その人見知りと引っ込み思案も、この陽を構成する個性なのだという理解があっても。
「ま、この悔しさは来年晴らそうや。な、武藤」
「そやな。来年こそ、後夜祭の切符を手に入れようや」
 潤一郎は圭介に振られて、そう笑顔を見せた。その言葉に、ようやく陽が顔を上げる。
「来年も、またこのメンバーで出るの?」
「中倉と朝田次第やな?」
「あいつらが誘って断ると思うか?」
 圭介と潤一郎の会話に、陽の表情も緩んでいく。
「うん。わたしも、来年にこの悔しさは持っていく」
「そやそや」
「今年は今年で残りの記念祭、楽しもうぜ」
 そんな陽たちのやりとりを見ながら、晶はひとり疎外感を否めない。苦笑いを浮かべた胸の奥は、どんどんささくれ立っていく。
(陽は、どんどん強なってくな…)
 そんな思いは、陽への敵愾心と恐れへ変わっていこうとしている。晶は、自分の胸の奥の変化を感じ取っていた。
「買い出し部隊集合〜っ」
 美幸の明るい声が教室に響く。圭介はその声に軽く目で反応したあと、陽たちに顔を向け直した。
「ほんじゃ、行ってくるわ」
「また明日な」
「じゃあな」
「じゃあね」
 口々にそう挨拶が交わされていく。
 教室の入り口には、美幸の笑顔が圭介を待っている。
「晶ちゃん、帰ろう」
「ん、ああ」
 陽に声をかけられて、晶は自分が圭介の背中を追っていたことに気づき、慌てて陽に笑顔を向ける。
「じゃな、また明日」
「また明日ね」
 潤一郎と北斗に、口々にそう言うと、晶と陽は教室を出る。
「たこ焼き屋、かったるいわあ」
 準備が始まりだしたグラウンドを横目に、晶はそんな他愛もないことで陽との時間を潰そうとする。
「わたし、上手く焼ける自信ない」
 そう言って、陽は苦笑いを浮かべる。
「あたしも無理やわ。あんなんまん丸に焼けるかいな」
 晶もそう言って笑う。
 その笑顔が偽りであることだけが、ただ苦しい。
 陽のように、素直に笑えたらどれだけ心が楽かとも思う。
 それでも、膨らみ続ける気持ちに歯止めは利かない。
 圭介も陽も選べずに、晶の気持ちは祭りとはほど遠いところに沈んでいく。
 浮上のきっかけは掴めなかった。


                                  To be continued…

2008.12.19 Ver.1.00 Up

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