その日、晶は劇団の練習が終わってから、陽と待ち合わせをしていた。
 台本の読み合わせを手伝ってもらうためだ。
「おっす、陽。待たせたな」
 晶が家に帰ると、部屋で陽が待っていた。
「ううん。全然いいよ」
 先に読んでいた台本から目を外すと、陽はそう笑いかけた。
「時間ないからさっさとやろうか」
 晶は鞄から台本を取り出すと、陽の前に腰を降ろした。
 プロを目指す晶がいい調子で台詞を読んでいくのは当たり前だが、全く素人であるはずの陽も、かなりいい調子で台詞を読んでいく。だからこそ、晶は自分の調子が併せやすく、パートナーとして最適の陽を自宅での練習相手に選んでいた。
 そんな練習は1時間近く続き、もういい時間になろうとしていた。
「おっと、もうこんな時間か」
 時計に目をやった晶が、そう言って台本を閉じる。時計はもう22時を回っていた。
「悪いな、陽。遅まで付き合わして」
「ううん。こうやって台本読み手伝うの、結構面白いから」
 すまなさそうに言う晶に、陽はそう言って笑う。
「陽も本読みは結構上手いんやから、役者目指しゃあええのに」
「でも、わたしは音楽の人だから」
 そう言って苦笑いする陽に、晶も苦笑いを返す。
「おっしゃ、ほんなら送ってくわ」
 晶はそう言って部屋を出た。

 晶の家から陽の家まではそれなりの距離がある。
 晶はいつも陽に手伝ってもらった時は陽を家まで送っていってから、来た道をランニングしながら戻るのだ。今日も、そうするつもりだった。
 いつものようにふたりでくだらない話をしながらの道。
「ここ、いっつも暗くて気持ち悪いんよなあ」
 晶はそう言って顔をしかめる。この先の通りだけは、マンションの解体工事の現場に挟まれており、夜は街灯も暗く、普段なら避けて通る道だった。
「他の道通る?」
「もう時間も遅いから、行こう」
 苦笑いの陽に、晶はそう言って歩き出した。
 すぐ後ろで車のエンジン音がする。さっきまではしていなかった音だ。どうも、交差点で曲がってきたらしい。
「陽、行こう…」
 言いかけて、晶は思わず絶句した。車から降りてきた男の腕の中で、陽はぐったりと首を垂れていたからだ。
「おまえら、陽になにすんねんっ!」
 晶は言いながら、身体が動いていた。陽の元に駆け寄ろうとして走り出すと、男が顔を上げた。
「陽になにすんねんっ!」
 その男にたたき付けようとした右腕を、後ろからぐっと引かれて、晶は慌てて振り返った。
「元気のええ姉ちゃんやなあ」
 卑下た笑いを浮かべた別の男が、晶の右腕を掴んでいた。
「柔らかい腕しとるやん」
 そう言いながら胸元に伸びてきた腕を、晶は払い落とす。
「こんのっ!」
 右腕を捕まれたままで体勢は悪いが、蹴り上げた左足が上手く脇腹に入った。
「元気がよすぎるのも困りもんやな」
 がっ。
 頬に鈍い痛みを残して、晶ははじき飛ばされ道路に転がった。
「拉致ってからたんまり可愛がったろうかと思たんやけど、こいつはここでヤッてまうか」
 仰向けに転がる晶を見下ろしながら、男はにやりと笑う。その悪夢のような笑みに、晶は思わず後ずさった。恐怖感に押され、立ち上がることすらできない。もうひとりの男は、気を失ったように見える陽を車の中に押し込もうとしていた。
(誰か…!)
 迫り来る男に、晶はぎゅっと目をつむって祈った。
 その時。
「なにしてんねん、おまえら」
 聞き覚えのある声が晶の耳に響く。
「なんやおまえら?」
 男の気配が身近から消え、晶は目を開けて首をめぐらせた。
 そこには、圭介と北斗の姿があった。
「別になんやってエエやろう。なんしてんねんって聞いとんや」
 いつもの何事にも関心がないような雰囲気とは全然違う、見たこともないような圭介だった。
「見ての通りや。おまえらには関係ない」
 男は晶から離れ、圭介たちの方へ向かってい歩き出している。
「おまえらから関係なくても、俺らには大ありなんやわ。そのふたり、離してもらおか」
 ぐっとドスの利いた声で、圭介の眼光が更にきつくなる。
「黙れや。しばき倒すぞ、ワレ」
 言いながら、男が圭介に殴りかかってきた。圭介はそれをよける。
「佐竹は手出しすんなよ。おまえ、部活のことがあんねんから」
 圭介はそう言うと、ふたりの男相手に乱闘を始めていた。
 殴り合う音が辺りに響く。
 ふたり相手の圭介はいかにも分が悪そうだ。
 北斗も、来るなと言われて手が出せずに困っているよう見える。
 もし、圭介が負けてしまえば、北斗にも害が及び、その先の自分たちの運命は火を見るより明らかだ。
 そう思った瞬間、晶はあらん限りの声が口から出ていた。
 圭介に殴りかかっていた男たちも、慌てて晶を振り返る。
「くそっ! シャレにならんぞ!」
 そう言いながら、慌てて圭介から離れようとする。
「待てや、コラァ!」
 圭介も追おうとするが、陽を突き飛ばされ、慌てて受け止める内に男たちは車に乗り込んで逃げ去った。
「ちっ…」
 圭介は思わずそう舌打ちする。
「大丈夫か、高遠?」
「ああ、こんなんかすり傷や」
 加勢できなかった後ろめたさを見せる北斗に、圭介はそう笑う。
「おーい、高橋も大丈夫やったか?」
「あ、ああ…」
 そう返事をして、立とうとしたが足に力が入らない。
「なんや? どないしたんや?」
 気を失った陽を北斗に預け、圭介は晶に近寄る。
「腰抜かしたんか?」
「う、うっさいな。ほっといてや」
 晶はみっともない姿を見せたと思い、そう強がる。
「アホ。こんな時に強がってもしゃあないやろうが」
 そう言って、圭介は晶の右手を取って引き上げた。
「ほら、立てるか?」
 抱え上げるように肩を抱かれ、晶は思わず真っ赤になった。
「だ、大丈夫や。ありがと…」
 そう言って、慌てて圭介から離れようとするが、まだ腰に力が入らずによろけた。
「もうちょっと肩貸しといたるから、無理すんな」
 そう晶に言ってから、圭介は北斗を振り返る。
「葛城の方はどうや?」
「気ぃ失ったまんまやわ」
 そう言って、北斗は陽をおぶった。
「ふたりとも、家こっちなんか?」
「陽の家はこの先や。あたしんちは、逆方向やけど」
 晶はまだ落ち着かない気持ちのまま、そう言ってあまりにも間近に見える圭介の横顔に慌てた。
「佐竹、住所聞いたらわかるか? 佐竹もこの辺やねんから」
「わかるんちゃうかな? 葛城の家ってどこ?」
「松ノ内町×番×号」
「ああ、それやったらわかるわ」
 晶の言葉に、北斗が笑顔を作る。
「じゃあ、佐竹は葛城頼めるか? 俺は高橋を送ってくわ」
「ええって、高遠」
「まだロクに歩けんクセに無理すんな」
 慌てる晶に、圭介はそう言って、北斗と同じように晶をおぶった。
「うわああっ…」
 バランスを崩しかけた晶は、慌てて圭介にしがみつく。
「暴れんなよ。落ちるから」
 そう言って笑う圭介の声が、妙に耳に絡みついた。
「じゃあ、高橋は頼むで、高遠」
「おう。佐竹も、葛城のこと頼むな」
 圭介と北斗は、そう言い合うとお互い反対方向へ歩き出した。
「高遠、ホンマに悪いって」
 晶は真っ赤になりなりながら圭介に何度もそう言う。
「別にエエって。佐竹の方が女には無害に見えるから、葛城が目覚ましても驚かへんやろ? その方が葛城のためやんか。気にすんな」
 そう言いながら、圭介は時にずってきそうになる晶をおぶりなおしながら、歩いていく。
「あんな時間にふたりでなんしとったんや?」
「あたしんちで、台本読み手伝って貰てたんや。もうすぐ舞台近いから」
 少し落ち着いてきた晶は、圭介に寄りかかるようにしてそう答えた。
「でも、あんな危ないとこ通んなや。なんかあってからやったら遅いで」
「うん…。すまん」
 圭介にそう言われ、晶はしょげたように頭を垂れた。頬に触れる晶の髪が圭介にはくすぐったい。
「まあ、何にもなかった…ことないか。殴られたんやろ? 傷まへんか?」
 そう言って、圭介はちらっと晶の顔を振り返った。右の頬が少し赤く腫れている。
「これくらい大丈夫や。高遠こそ、ボロボロやんか…。ホンマにごめん…」
「別にかまへんって。高橋も葛城も、拉致られんですんだんやから」
 一気に声のトーンが落ちた晶に、圭介はそう笑った。
「ホンマに、高遠と佐竹が通りかからんかったら、あたしらどないなっとったかわからんかった…。ホンマありがとう…」
「ま、そう言うことなら武藤に感謝もしてくれや。あいつが訳わからんこと言うて俺ら引き留めたから、あの時間にあそこ通りかかったんやし」
 圭介はそう言ってまた笑う。
「それに、こうやって高橋に密着して貰えてるっちゅう役得もあったから、アイコでええんちゃうか?」
 圭介にそう言われ、晶は急に恥ずかしくなってきた。よく考えれば、父親以外の男におぶってもらうことなど生まれて初めてだ。ましてや、ここまでぴったりと身体を異性に密着させたこともない。
「ちょっ…降りる! 今すぐ降りる!」
「暴れんな! 落ちるやんけ!」
「もう大丈夫やから降ろしてくれーっ!」

「陽は、大丈夫やったかなあ…」
 夜も更け、ひとりでベッドに入ると、気を失ったまま北斗におぶられた陽の姿が頭に浮かんだ。そうして、襲ってきた男の卑下た笑いが浮かぶ。晶は思わず自分を抱きしめて軽く震えた。本当に、あの時圭介と北斗が通りかからなかったら、どうなっていたかと思うとぞっとする。湿布を貼った頬が傷んだ。そうして、自分と陽のために体を張ってくれた圭介の姿が浮かぶ。
「高遠も、大丈夫かな…。笑っとったけど、かなり殴られとったし…」
 晶にとっては、何事にも無関心に見える圭介の意外すぎる一面だった。
 ふっと胸の高鳴りを覚えて慌てる。
「あした、もっぺんちゃんと礼言わな…」
 晶はそう呟きながら眼を閉じた。
 あまりに長く触れていた圭介の背中の感覚がふっと浮かぶ。
 同じように訪れる恐怖の瞬間。
「あかん…」
 晶は頭を抱えて俯せになった。
「あかんて…。ホンマにあかんて…」
 毛布を被りこんで晶はそう呟いていた。

 その夜、晶に眠りはやってきてくれなかった。


                                  To be continued…

2004.12.28 Ver.1.00 Up
2007.07.30 Ver.2.00 Up

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