「あー、楽しかった」
 深江駅の改札を出ると、美幸は伸びをしてそう言った。
 あの後、結局球場の門が閉まるまで、他のファンと一緒に騒いでいた。もう時間は22時を回っている。
「ホンマに楽しそうやったな」
 圭介も微苦笑でそう言う。
「うん! ホンマ、つきおうてくれてありがとね」
 まだ満面の笑顔で、美幸は圭介に軽く頭を下げる。
「また、俺で良かったらつきあうわ」
 特上の笑顔を見せられて、つい圭介の口からもそんな言葉が漏れた。
「うん。やっぱり持つべきものは幼なじみやね。じゃ、また月曜日!」
「おう。気いつけて帰れや!」
 背中で揺れるメガホンの柄が飛び出したリュックサックが、軽く振り返って手を振る。圭介もそれに合わせて軽く手を振った。やがて、その背中は夜の街に消えた。
「さて、俺も帰るか…」
 圭介はそう呟くと、家に向かって歩き出した。
「たっだいまーっと…」
 圭介がマンションの部屋に帰り着くと、部屋は静かだった。いつもなら、真由子は風呂にでも入っているような時間であるはずだ。
(あれ…?)
 圭介がきょろきょろと辺りを見渡すと、真由子は食堂のテーブルに突っ伏して眠っていた。目の前には、野球観戦でろくに食べられず、腹を空かせているであろう圭介のためにと夕食が準備されていた。どうも、待ちくたびれて眠ってしまったらしい。
「おーい、真由子ー」
 圭介は荷物を床に置くと、軽く真由子の肩を揺らす。閉じられていた瞳がぼんやりと開いた。
「…あ、おにーちゃん。お帰り…」
 ゆっくりとした動作で顔を上げ、圭介を確認した真由子は目をこすりながらそう言う。
「風邪引くぞ。もう6月が近いっつってもな」
「うん…」
 真由子はまだ幾分ぼんやりとした表情で頷くと、大きくあくびをする。
「飯、サンキューな。風呂入ってこいよ。まだなんやろ?」
 圭介の言葉に、コクンと首を振ると、真由子はのそのそと自分の部屋へ戻る。ごそごそとした後、着替えを持って再び出てくると、今度は風呂場へ行った。風呂場から水音が聞こえ、ようやく圭介は夕飯に箸をつけた。

「おにーちゃん、ちょっとええ?」
 圭介が風呂から上がり、部屋でようやく落ち着き始めた日付変更を越えた頃、パジャマ姿の真由子が圭介の部屋に顔をのぞかせた。
「おお、ええで。なんや?」
 ベッドで漫画を読んでいた圭介はそう言って体を起こす。
「明日さあ、どこ連れてってくれるか考えてくれた?」
 さっきの眠そうな顔とは裏腹に、もう真由子の顔はいつもの元気を取り戻している。その瞳には、期待の光がまじまじと見て取れた。
「ああ、明日なあ…。まだ何も考えてへんわ」
「えーっ!」
 ぞんざいな圭介の言葉に、深夜であるにもかかわらず真由子は声を上げる。
「おまえ、どっか行きたいとこないんか?」
「遊園地」
「却下や!」
 真由子の答えに、圭介は瞬時に反応する。
「えーっ、なんでーっ!」
 その圭介の言葉に、真由子も負けずと反応する。
「先月行ったばっかりやろうが! ババリアンマウンテンばっか乗って、俺を破産さす気か!」
「今回はエキスポランド頼もうと思てたのに〜…」
 真由子はそう言うと、恨めしそうな顔を圭介に向ける。エキスポランドは大阪の万博記念公園にある遊園地だ。宙づりコースター「オロチ」、スタンディングコースター「風神雷神」をはじめとした5種類のジェットコースターが売りだ。
「おまえ、ここからどんだけかかるかわかってて言うとんやろな?」
 思わず頬を引きつらせて、圭介はそう聞く。
 この当時、彼らの住む深江からは、この方面への交通手段が極端に少ないこともあって、かなりの遠回りになる。
「えーっと、梅田まで阪神で出て、そっから阪急に乗り換えて茨木市でしょ? そこからモノレールやっけ」
 指を繰りながら真由子はそう答える。
「ご名答や…。そんだけわかっとってよお言えるな」
「だって、奢りでしょ?」
 満面の笑顔を作り、真由子は圭介を見る。
「却下」
「えーっ!」
 冷め切ったような圭介の声に、また真由子が声を上げた。
 結局、1時頃には三宮をぶらぶらすると言う無難な案に落ち着き、圭介の部屋にもようやく静寂が訪れていた。
 電気を消して、ベッドの中に潜り込むと、まだ耳の奥でスタンドの歓声が響いていた。
 ふっと思い出す美幸の横顔。
(何年も見んと、女は変わるもんなんやなあ…)
 思い出す横顔と、幼い頃の横顔が重ならない。気安い性格も、野球を見に行くと熱狂的になる癖も、何も変わっていないはずなのに。そうして、抱きつかれた時の柔らかさと髪の香りがふっと蘇る。
(そうやよなあ…。来月でもうあいつも17歳なんよなあ…)
 そう苦笑いすると、圭介は目を閉じた。
 ふっと美幸の笑顔が浮かんで苦笑いする。
「ま、何にしてもおもろかったわ。ありがとな、美幸…」
 圭介はそう呟くと、本格的に寝るために頭の中から今日の出来事を追い出していた。

「ぐっどもーにーんぐ!」
 真由子の金切り声が部屋に響いた。その声に、圭介は慌てて飛び起きる。
「おっはよー、おにーちゃん!」
 寝ぼけ眼の圭介に、真由子はすでに遊びに行く準備をすませてそう声をかけた。
「おまえ、今何時やと…」
「もう10時回っとおよ」
 真由子に言われて、圭介は慌てて時計を見る。
「昨日遅かったから、これでも余分に寝かせてあげたつもりなんやけど?」
 勝ち誇ったように言う真由子に、圭介はがっくりと項垂れる。
「準備するから出てけーっ!」
「はいはいはーい! 朝ご飯の用意できてるよー」
 真由子は楽しそうにそう言うと、じとっと睨む圭介を尻目に部屋を出ていった。
 窓の外を見上げると、今日も抜けるような青空だ。
「今日も暑くなりそうやなあ…」
 圭介はそう呟くと、大きく伸びをした。ふっと美幸の笑顔が思い出されて、圭介は苦笑いだ。
「美幸…ね」
 そう呟くと、もう一度苦笑いする。
「おにーちゃん、まだーっ!?」
 ドアの向こうから真由子の声が響く。
「わーったよ!」
 ドアの向こうに怒鳴り返すと、圭介はベッドから飛び降りる。
「ま、今日は真由子の相手してやるか…」
 そう言って、圭介はもう一度大きく伸びをした。

                                  To be continued…

2004.11.27 Ver.1.00 Up
2007.07.29 Ver.2.00 Up

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